北海道オホーツク、北見から

オムライスとパスタが大好き。
初めまして、オーナーの三浦サトシです。
私たちは「たまごのじかん」というレストランを営んでいます。
お店を始めてから、25年。
その道のりは、決して順風満帆なものではありませんでした。
それでも、あきらめずに続けてきたからこそ、今があります。
そして今、私たちは北見の店から、オホーツクの食と、そこに込めた想いを全国へ届けようとしています。
その原点なのが、「たまごのじかん」です。
はじまりは「農業×ビジネス」でした

私は実は最初から「料理人になりたい」と思っていたわけではありません。
もともと興味を持っていたのは、祖父の影響で農業とビジネスを掛け合わせることでした。
農業の現場に関わりながら、農産物を生産するだけではなく、その先にある加工や販売、サービスまで含めて、もっと広い意味で「商売」をつくりたい。
そんな想いを持っていました。
私は農協に12年間勤めました。
しかし、仕事を続ける中で、
「このまま役職が上がっていったら、辞めることが難しくなるのではないか」
そんな思いが強くなっていきました。
50代になってから新しいことを始めるのは難しい。
「だったら、今しかない。」
そう考え、34歳で農協を退職します。
そして、妻と3人の子どもを残し、調理師学校へ進学するため大阪へ。
周囲からは反対されました。
「そこまでして、なぜ?」
そう思われてもおかしくない決断でした。
それでも、自分の人生に責任を持てるのは自分自身。
やりたいことをやらない人生にはしたくない。
そんな思いで、1年半にわたって調理を学び、北見へ戻ってきました。
2001年、一軒の店を始めました

北見へ戻った私は、2001年に飲食店をオープンします。
料理人として有名店で修業する道もありました。
けれど、私がやりたかったのは「料理人になること」ではありません。
やりたいのは、あくまでビジネス。
だったら、料理の修業を何年も続けるより、自分で店を始めてしまったほうが早い。
そんな考えから、自分の店をスタートしました。
ところが、実際に店を始めてみると、そんな簡単なものではありませんでした。
お客様に来てもらわなければ、商売は成り立たない。
どうすればお客様が来てくれるのか。
どうすれば店を続けていけるのか。
毎日の経営に追われるうちに、最初に思い描いていた「農業×ビジネス」という夢は、いつの間にか頭の片隅へ追いやられていきました。
目の前の店を続けることで精一杯だったのです。
一度、すべてが崩れました

2006年には腰を痛め、それでも店を開け続け、無理を重ねた結果、手術が必要なほど悪化。
しばらく店を休まなければならなくなりました。
そして、店を休んだことで、それまで来てくれていたお客様が戻ってくるとは限らないという現実にも直面します。
体には後遺症が残り、以前のように無理をすることもできない。
やがて資金も底をつき、夫婦二人で「どうする?」と相談するほど、生活そのものが苦しい状況になりました。
当時は、両親や子どもたちにもその苦境を隠していたそうです。
食事も、業務用で一番安い鶏ムネ肉で何とかしのぐ。
そんな時期でした。
それでも、借金をしてその場をしのぐことはしなかった。
「貧乏生活だけれど、なんとか乗り切れる」
どこかでそう思っていたのかもしれません。
そこで、もう一度「原点」に戻りました

皮肉なことに、店を休んで入院した時間が、私にとって大きな転機になりました。
毎日の仕事に追われいたので、ゆっくり自分の人生を振り返る時間ができた。
そして、ふと思ったのです
「そもそも、なんで脱サラしたんだっけ?」
自分がやりたかったのは、飲食店そのものではなかった。
農業につながる産業全体に関わりたかった。
もっと広い意味でビジネスをやりたかった。
そのことを、もう一度思い出しました。
そして、出てきた答えが、
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「トマトのことをやらなきゃ!」
ここから、「たまごのじかん」とトマトの物語が始まります。
2008年、「たまごのじかん」へ

それまでのイタリアン「ボナセーラ」から店名を変え、メニューもコンセプトも一新しました。
新しい店の名前は、「たまごのじかん」
なぜ、たまごなのか。
きっかけの一つは、トマトをもっと活用したいという想いでした。
トマトをたくさん使うためには、パスタだけでは足りない。
そこで、トマトソースをたっぷり使える料理として、オムライスをメニューに加えることにしました。
そして、その店の名前を「たまごのじかん」に。
「とまとのじかん」のほうがよかったかもしれない。
そんな冗談も、今では笑って話せる思い出です。
ただ、当時は「トマト」を前面に出した店にすることには不安もありました。
地域のレストランとして考えたとき、オムライスのほうが分かりやすい。
子どもから大人まで、多くの人が好きな料理だからです。
こうして、「たまごのじかん」が始まりました。
それでも、答えはなかなか見つかりませんでした

店をリニューアルすれば、すべてがうまくいく。
そんなに簡単ではありませんでした。
広告を出せば、一時的にお客様は増える。
でもやめれば、また減ってしまう。
何が正解なのか。
コンサルタントに相談したり、独学で経営を勉強したり。
広告をまったく打たない年をつくってみたり。
いろいろなことを試しては、うまくいかず
まるで「失敗がずっと続いている」ような時期。
そんな試行錯誤の中で、少しずつ見えてきたものがあります。
それが、
「自分の商売をする」
ということでした。
世の中には、たくさんの経営論やマーケティング論があります。
でも、それはあくまで一般論。
大切なのは、
「自分は何をしたいのか」
ということ。
そこを軸にしなければ、本当に自分らしい商売にはならない。
そう気づいてから、少しずつ「たまごのじかん」の形が変わっていきました。
そして、「はじまりのトマトソース」が生まれました
トマトソースの商品化を考えるようになったのは、実は特別な大発見からではありません。
きっかけは、店で使っていたトマトソースでした。
業務用のトマトソースを探してみると、輸入品が中心。
「国産のトマトで作ったトマトソースが欲しいのに、なかなかない。」
だったら、自分で作ればいい。
自分が欲しいということは、同じように欲しい人がいるかもしれない。
それが、「はじまりのトマトソース」の出発点でした。
名前の通り、本当に「はじまり」は小さな疑問でした。
でも、その小さな疑問から、少しずつ物語が大きくなっていきました。
